地球の米というのは、どうしてこうも美味いのだろうか。
俺は万事屋の居間のちゃぶ台を占領し、炊きたての白米を山盛りにした茶碗を片手に、至福の時を過ごしていた。窓の外はあくびが出そうなほどの平和な午後。この部屋の主である天然パーマの侍はパチンコに出かけて不在で、メガネの少年も買い物に行っているらしい。
部屋に残っているのは、俺と、向かい側で酢昆布を齧っている生意気な妹だけだ。
「……で、また来たのかヨ、バカ兄貴。新婚生活が暇すぎて地球まで冷やかしに来たアルか?」
神楽が酢昆布をくわえたまま、ジト目で俺を睨む。
俺は口の中の米を咀嚼し、飲み込んでから笑顔で答えた。
「冷やかしじゃないよ。彗羽(すいは)ちゃんが地球で仕事があるっていうから、ついて来ただけ。ついでに妹の顔でも見てやろうかと思ってね」
「ハッ、どうせ彗羽の金魚のフンね。宇宙最強の掃除屋が聞いて呆れるヨ」
神楽は鼻を鳴らし、また新しい酢昆布の袋を開けた。
「それにしても、あの姉ちゃん……彗羽のことだけどネ」
「ん? 彗羽ちゃんがどうかした?」
俺が茶碗を置くと、神楽は少し言い淀むように視線を泳がせ、それからボソッと言った。
「……喋り方、変じゃないか?」
「変?」
俺は首を傾げた。
「どこが? 声ならすごく綺麗だよ。だって宇宙歌姫だし」
「そうじゃなくてネ! あの、お嬢様みたいな口調のことアルよ!」
神楽が身を乗り出して、大げさに身振りを交えて真似をしてみせる。
「『ごきげんよう』とか、『〜ですわ』とか、『よろしくて?』とか! 今どき少女漫画のお姫様だってあんなコテコテな喋り方しないネ。あれ、キャラ作りアルか? それとも天然?」
ああ、なるほど。そういうことか。
俺は思わず吹き出しそうになるのを堪え、口元を手の甲で覆った。
確かに、彗羽ちゃんの言葉遣いは独特だ。夜兎族といえば、俺たち兄妹も含め、もっとこう、粗野でぶっきらぼうな連中が相場だと決まっている。
けれど彼女は違う。
戦場であろうと、泥沼であろうと、彼女は常に舞踏会にでもいるかのような優雅さを崩さない。
「キャラ作り……とは少し違うかな」
俺は箸を置き、天井を見上げた。
「あれは彼女の『鎧』みたいなものだから」
「鎧?」
「そう。誰にも教わらず、ゴミ捨て場の中で拾った本だけを頼りに、自分を保つために身につけた礼儀作法。……俺は、あれがすごく可愛いと思ってるんだけど」
思い出すのは、彼女と初めて出会った頃のことや、共に戦った日々のことだ。
血飛沫が舞う戦場で、彼女は黒い番傘を開き、敵を見下ろしてこう言ったのだ。
『あら、随分と野蛮なご挨拶ですわね。わたくしのドレスを汚した罪、万死に値しますわ』
その声は鈴が転がるように甘く、けれど絶対零度の冷たさを孕んでいた。
相手の首を刎ねる瞬間でさえ、『ごきげんよう』と微笑むその姿。
その強烈な違和感(ギャップ)こそが、彼女が「彗羽」である証明なのだ。
「可愛い……? 兄貴、頭のネジだけじゃなくて目の神経もイカれたか?」
神楽が心底呆れたような顔をする。
「だってさ、想像してごらんよ。あんなに小さくて、お人形さんみたいに綺麗な子が、一生懸命『お嬢様』の言葉を使ってるんだよ? 頑張ってる感じがして、いじらしいじゃないか」
「うわぁ……新婚ボケもここまで来ると末期ネ。キモチワルイ」
俺はニコリと笑って、神楽の頭に手刀を落とした。
「痛っ! 何するアルか!」
「事実を言っただけだよ。それに、あの口調は俺だけの特権みたいなところもあるしね」
「は? 意味わかんないヨ」
彗羽ちゃんは、公の場や敵に対しては、どこか突き放したような冷徹な敬語や、高圧的なお嬢様口調を使うことが多い。それは彼女が自分と他者との間に引いた境界線だ。
けれど、二人きりの時は少し違う。
ふとした瞬間に、その完璧な「お嬢様」の仮面が揺らぎ、年相応の少女の顔が覗くのだ。
『神威くん、これ、すごく美味しいですわ! ……あ、いえ、その、美味でしてよ?』
美味しいものを食べた時に、素の言葉が出そうになって慌てて言い直すところとか。
『もう、神威くんの意地悪! ……意地悪ですわ!』
俺がからかった時に、頬を膨らませて怒りながらも、語尾だけ無理やりお嬢様に戻すところとか。
そのアンバランスさが、たまらなく愛おしい。
彼女が積み上げてきた「強さ」の象徴であるその言葉遣いが、俺の前でだけは、甘く解けていく。
「ま、神楽にはまだ早いかな。大人の魅力ってやつさ」
「ケッ。どうせ尻に敷かれてるだけだろ」
神楽が憎まれ口を叩いたその時、玄関の方から音がした。
「ごめんくださいまし〜。神威くん? いらして?」
鈴を振るような、特徴的な声。
噂をすれば影、なんとやらだ。
俺は箸を置いて立ち上がり、玄関へと向かう。神楽も興味津々な様子で後ろをついてきた。
玄関を開けると、そこにはフリルのついた日傘を差し、黒いレースのワンピースに身を包んだ彗羽ちゃんが立っていた。
今日の服装もまた、気合が入っている。まるで西洋人形がそのまま歩いてきたようだ。
「やあ、彗羽ちゃん。仕事は終わったの?」
「ええ、予定より早く片付きましたの。だからお迎えに上がりましたわ」
彼女はパタンと日傘を閉じると、ふわりと微笑んだ。
その笑顔は、テレビや雑誌で見せる「歌姫SUI」のミステリアスなものではなく、俺だけに向けられる柔らかいものだ。
「あら、神楽さんもごきげんよう。突然お邪魔してごめんなさいね」
彗羽ちゃんは神楽に気づくと、優雅にスカートの裾をつまんで膝を折った(カーテシー)。その動作の洗練され具合といったら、王族のそれだ。
「……うわ、本物のお嬢様ムーブだ。すげぇ」
神楽が小声で漏らす。
「これ、差し入れですわ。地球の『ケーキ』というものですの。神楽さん、甘いものはお好きかしら?」
彼女が差し出したのは、有名洋菓子店の大きな箱だった。
「! 好き! 大好きネ! 姉御、話がわかるアル!」
神楽の態度が一瞬で軟化した。現金なやつだ。
「ふふ、よかった。仲良くしてくださいませね」
彗羽ちゃんは満足そうに目を細めると、俺の方に向き直り、自然な動作で俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
そして、少しだけ背伸びをして、俺の耳元で囁く。
「……神威くん、早く帰りましょ? わたくし、新しい曲の歌詞を見ていただきたいんですの。……あと、その、お腹も空きましたし」
最後の「お腹も空きましたし」の部分だけ、少し早口で、照れくさそうに視線を逸らしながら言った。
完璧な「お嬢様」の仮面からこぼれ落ちた、食いしん坊な本音。
俺は愛おしさがこみ上げてくるのを感じながら、彼女の頭をポンと撫でた。
「はいはい。じゃあ帰ろうか、お姫様」
「もう、子供扱いしないでくださいまし!」
彼女は頬を赤らめて抗議するが、その腕は俺の腕をしっかりと掴んで離さない。
「じゃあね神楽。ケーキ、全部一人で食べるなよ」
「うるさいネ! さっさとイチャイチャしながら帰るヨロシ!」
神楽の罵声を背に受けながら、俺たちは万事屋を後にした。
西日が差す歌舞伎町の通りを、二人で歩く。
隣を歩く彼女のヒールが、カツカツと軽快なリズムを刻む。
「神威くん、今日の夕飯は何にしまして?」
「そうだねぇ。彗羽ちゃんが好きなオムライスにでもしようか」
「まあ! 素敵ですわ! ……卵はとろとろでお願いしますね?」
「了解」
その装飾過多な言葉遣いも、レースで縁取られたような丁寧な物言いも、全てが彼女を形作る大切な要素だ。
猛獣のような俺の手綱を握れるのは、この世でたった一人。
この愛らしくも気高い、小さなお嬢様だけなのだから。