宇宙最強の掃除屋だの、生きた伝説だのと、他人は俺のことを勝手に持て囃す。だが、親としての俺が三流以下であることは、誰よりも俺自身が一番よく分かっていた。
冷たい雪が舞う地球の宇宙港から、俺は一隻の美しい星艦『リリアンナ号』へと足を踏み入れた。両手には、地球の高級メロンや、栄養価の高い食材、それにマタニティグッズがこれでもかと詰め込まれた巨大な紙袋を提げている。
あの大馬鹿息子が、父親になる。
その報せを聞いた時、俺は危うく行きつけの育毛サロンの椅子から転げ落ちそうになったものだ。血と闘争しか知らなかったあの神威が、誰かを愛し、命を育む側になるなど、数年前までは想像すらできなかった。
艦内は、外の凍てつくような寒さが嘘のように暖かく保たれていた。ふわりと甘いメロンの香りと、それに混じって、何やらひどく家庭的な……出汁の匂いが漂ってくる。
足音を忍ばせてリビングに近づくと、俺は思わず目を疑った。
宇宙のならず者どもを震え上がらせる春雨第七師団の団長様が、あろうことかピンク色のエプロンを身につけ、キッチンで小鍋の前に立っていたのだ。
「……火加減、こんなもんか……?」
ぶつぶつと呟きながら、神威は真剣な顔でレシピ本と鍋を睨みつけている。その横顔を見て、俺は息を呑んだ。
あの、いついかなる時も余裕の笑みを絶やさない神威の顔に、くっきりと隈が刻まれていたのだ。
視線の先、リビングのふかふかしたソファには、毛布にくるまった彗羽が、黒い垂れ耳うさぎのぬいぐるみを抱きしめてすやすやと眠っていた。
神威は火を止めると、足音ひとつ立てずに彼女のそばへと歩み寄った。殺気など微塵もない。ただ、ひどく慎重で、壊れ物を扱うような足取りだった。
ソファの傍らに膝をつき、神威はそっと彼女の額にかかった黒髪を払う。そして、彗羽の小さな手に自分の額を押し当て、長く、ひどく重い、疲労に満ちたため息を吐き出した。
「……頼むから、無事でいてよ……」
それは、強者の余裕など微塵もない、ただ愛する者を失うことを恐れる、ひどく脆い青年の声だった。
夜兎の妊娠と出産は、ただでさえ母体に負担がかかる。ましてや彗羽は、幼い頃に烙陽のゴミ山でひどい栄養失調を経験していると聞いていた。医者からは問題ないと言われていても、神威の夜兎としての本能と、過去のトラウマが、彼を極限まで過敏にさせているのだろう。
江華の時、俺はそばにいてやれなかった。だが、このバカ息子は、不器用ながらも必死に彼女のそばに立ち、日常という名の戦場を戦っているのだ。
俺が持っていた紙袋が、かすかにカサリと音を立てた。
その瞬間、神威が弾かれたように振り返った。青い瞳に一瞬だけ鋭い殺意が宿ったが、俺の顔を見ると、それはすぐに呆れと疲労の色に変わった。
「……なんだ、親父か。殺すよ」
「声が大きい。彗羽が起きるだろ」
俺が小声で窘めると、神威は舌打ちをして立ち上がり、キッチンの方へと顎をしゃくった。
「……こっち来てよ。今、彗羽ちゃんは寝たばっかりだから」
促されるままにキッチンへ移動すると、神威は俺から無言で紙袋をひったくり、中身のメロンを見て少しだけ口角を上げた。
「お前、ちゃんと寝てるのか? ひどい顔だぞ」
俺が尋ねると、神威は水道で手を洗いながら、自嘲するように笑った。
「寝てるよ。……ただ、彗羽ちゃんの呼吸が少しでも乱れると、目が覚めちゃうんだよね。俺、バカみたいに神経質になってる。……親父みたいに、大切なものを置いてどっかに行ったりできないからさ」
皮肉めいた言葉だったが、そこにはかつてのような憎悪はなかった。ただ、自分自身の弱さを持て余しているような、そんな響きがあった。
「……そうか」
俺は短く答えた。怒る気にはなれなかった。むしろ、目の前の不器用な息子の背中が、ひどく頼もしく、そして愛おしく思えた。
「彗羽は、料理が壊滅的だからな。お前がしっかり栄養をつけてやらねぇとダメだろ」
「分かってるよ。だからこうして、慣れないことやってるんじゃないか」
神威が作ったという小鍋の中を覗き込むと、白身魚と野菜が丁寧に煮込まれた、消化に良さそうなスープが出来上がっていた。あの、食べる専門で大食らいの神威が、他人のために骨を抜き、灰汁を取り、火加減を気にしている。
その事実だけで、俺の胸の奥が熱くなった。
「……んぅ……神威君……?」
その時、リビングから可愛らしい寝惚け声が聞こえた。神威はビクッと肩を揺らし、エプロンをつけたままの姿で慌ててリビングへと飛んでいった。
「おはよう、彗羽ちゃん。気分はどう? 気持ち悪くない?」
「うん……大丈夫。あ、いい匂いがする……」
彗羽が目をこすりながら起き上がると、キッチンに立つ俺の姿に気づいて、パッと花が咲くような笑顔を見せた。
「あ!お父さん!いらっしゃいませ!」
「おう、邪魔してるぞ、彗羽。体調はどうだ?」
俺が手を振ると、彗羽は嬉しそうに頷いた。神威はすかさず彼女の背中にクッションを当て、冷えないようにと毛布を掛け直している。その手つきの優しいことといったら、春雨の連中が見たら卒倒するレベルだ。
「お父さんが来てくれるなんて嬉しいです。あ、もしかしてメロン……?」
「ああ、奮発して一番いいやつを買ってきたぞ」
「わぁ!ありがとうございます!」
彗羽の緑色の瞳がキラキラと輝く。神威はため息をつきながらも、どこか誇らしげな、柔らかい表情を浮かべていた。
「メロンは食後にね。先にスープ、飲める?」
「うん、食べる!神威君のご飯、すごく美味しいんだよ、お父さん!」
テーブルに運ばれてきたスープを、彗羽は美味しそうに口に運ぶ。神威は自分の食事には目もくれず、ただ彗羽が食べる様子を、祈るような、愛おしむような目で見つめていた。
時折、彼女の口元を拭ってやったり、熱くないかと冷ましてやったりしている。
俺は、出された茶を啜りながら、ただ黙ってその光景を見つめていた。
夜兎の血は、闘争を求める呪われた血だ。俺も、神威も、その血に抗えず、多くのものを壊してきた。
だが、この小さな食卓には、呪いなど存在しなかった。
かつて最強を求めて血の海を歩いた息子は今、一人の女性の微かな寝息に一喜一憂し、彼女の笑顔のために出汁の味を研究している。
「……神威」
俺がぽつりと名前を呼ぶと、神威は怪訝そうな顔でこちらを向いた。
「なんだよ」
「……いや。お前は、俺よりずっと、いい男になったなと思ってな」
俺の言葉に、神威は一瞬目を丸くし、それから耳まで真っ赤にして顔を逸らした。
「……バカじゃないの。急に気持ち悪いこと言わないでよね。殺すよ」
「ふふっ、神威君、照れてる」
彗羽がくすくすと笑うと、神威は「照れてない!」と慌てて言い返した。
俺は、たまらなくなって声を出して笑った。神威が怒って俺のハゲ頭を叩こうとしたが、彗羽が「お父さんをいじめちゃダメだよ」と止めたため、渋々手を下ろした。
窓の外には、相変わらず冷たい雪が降り続いている。
だが、この部屋の中には、確かに春が訪れていた。
江華。俺たちの息子は、自分の手で、自分の帰る場所を見つけたぞ。もう、血の運命に縛られることはない。
俺は、湯気の向こうで笑い合う二人を見つめながら、心の中で最愛の妻に語りかけた。
この不器用で、ひどく脆くて、誰よりも強い息子の背中を、俺はこれからもずっと、見守っていきたいと、そう心から願った。