「ねえ、バカ兄貴。私、ずっと不思議に思ってたアル」
万事屋の居間のちゃぶ台を挟んで、私は目の前で地球の白米をブラックホールのような胃袋に吸い込んでいる実の兄をジト目で睨みつけた。
神威は、山盛りのご飯におかずの唐揚げを乗せながら、いつものように胡散臭い笑顔を浮かべて首を傾げた。
「ん?何?神楽。俺の白米を勝手に食べたことへの謝罪なら、今ここで殺してあげるよ?」
「誰が食べるかヨ!私が言いたいのは、彗羽お姉ちゃんのことアル!」
私がその名前を出した瞬間、神威の箸がピタリと止まった。そして、殺気立っていた空気が一瞬にして、春の陽だまりのようにぽかぽかとしたものに変わる。気持ち悪いアル。本当に気持ち悪いネ。
「彗羽ちゃんがどうかしたの?あ、もしかして昨日送った高級メロンの詰め合わせ、もう食べちゃった?ダメだよ神楽、あれは俺の可愛い婚約者がわざわざ選んでくれたんだから、ちゃんと味わって食べなきゃ」
「そういうことじゃないネ!私が聞きたいのは、どうしてあんな完璧な女神が、お前みたいな宇宙一の戦闘狂で、脳みそまで筋肉でできてるようなバカ兄貴と付き合ってるのかってことアル!」
私は机をバンッと叩いて身を乗り出した。
これは宇宙の七不思議に登録されてもおかしくない大問題アル。彗羽お姉ちゃんといえば、宇宙を揺るがすトップ歌姫「SUI」であり、裏社会では泣く子も黙るブラックホールの如き賞金稼ぎ「黒い彗星」。しかも、顔は信じられないくらい可愛くて、お金持ちで、私にいつも美味しいお菓子を送ってくれる超絶優しいお姉ちゃんアル。
それに対して、目の前の男はどうだ。
ただ強いだけのニート。春雨の提督とか言ってるけど、実態はただの喧嘩バカ。家事もできない、情緒もない、おまけに妹の酢昆布を平気で踏み潰す最低のクソ兄貴アル。
「お前、絶対何か卑劣な手段を使ったアルな?弱みを握ったとか、春雨の権力で脅したとか……。正直に吐くヨロシ。今ならパピーには内緒にして、私と銀ちゃんでお前を東京湾に沈めるだけで許してあげるアル」
「ひどい言われようだね。俺だって傷つくよ?」
神威は全く傷ついていない笑顔で、唐揚げを口に放り込んだ。モグモグと咀嚼した後、お茶をすすって一息つく。
「脅すなんてとんでもない。そもそも、俺が彗羽ちゃんを脅せるわけないでしょ?彼女、俺より強いんだから」
「……は?」
「出会った頃、何回か戦ったんだけどね。俺、全部負けちゃったんだよねー。傘で思いっきり吹っ飛ばされたりしてさ。あれは新鮮だったなァ」
うっとりとした表情で「ボコボコにされた思い出」を語る兄を見て、私は本気でドン引きした。
こいつ、ドMに目覚めたアルか?いや、元々狂ってるのは知ってたけど、まさか自分をぶっ飛ばした女に惚れるなんて、戦闘狂の行き着く先は変態アルか。
「しかもね、彗羽ちゃんってば、俺を吹っ飛ばした後に『神威君、お腹空いてない?』って、美味しい地球の白米を山ほど送ってくれたんだよ。あんなに強くて、あんなに綺麗で、しかも俺の好みを分かってる。好きにならない理由がないでしょ?」
「……餌付けされた野良犬アルか、お前は」
「野良犬じゃないよ。彗羽ちゃん専用の、宇宙一強いウサギさんかな」
神威は照れる様子もなく、サラッととんでもないことを言いのけた。
私は寒気で腕をさすった。あの血も涙もなかったバカ兄貴が、自分で「ウサギさん」とか言ってるアル。地球の裏側で火山が噴火するレベルの異常事態ネ。
「でも……」と、私は少しだけ真面目なトーンで聞いた。「お姉ちゃん、不老不死みたいな体になっちゃったって聞いたアル。見た目も17歳から変わらないって。お前、自分が年老いていくのに、彼女がそのままなのは怖くないアルか?」
以前、パピーから少しだけ聞いたことがあった。彗羽お姉ちゃんは、自分の故郷の星を救うためにひどい怪我をして、その代償で成長が止まってしまったと。
夜兎の寿命は長いけど、それでもいつかは老いて死ぬ。でも、彼女の時間は止まったまま。普通なら、そんな残酷な運命に耐えられないはずアル。
すると、神威は少しだけ目を伏せて、手元の湯呑みを見つめた。
その横顔は、今まで私が見たことのないくらい、穏やかで、静かなものだった。
「怖くないよ。だって、彗羽ちゃんは俺と同じ時間を生きて、同じ時に死ぬって約束してくれたから」
「……約束?」
「うん。彼女はね、自分の自由と寿命を取り戻すために、一人で星の呪いを断ち切ったんだ。俺と一緒に生きるためにね。だから、見た目が17歳のままでも、中身はちゃんと俺と一緒に年を取ってる。それで十分でしょ」
神威の言葉には、一片の迷いもなかった。
あの、ただ壊すことしか知らなかった兄が、誰かのために自分の居場所を作り、誰かの存在を自分の錨(いかり)にしている。
「それにね、彗羽ちゃん、料理が壊滅的に下手なんだよ。前に作ってくれたお菓子、食べたら三途の川が見えたからね。だから、俺がご飯を作ってあげなきゃいけないんだ。あの子、俺がいないとダメなんだよね」
どこか得意げに語る神威を見て、私は頭を抱えた。
「お前が料理アルか!?あの、包丁より番傘を振り回す方が似合ってるお前が!?」
「最近は結構上達したんだよ?彗羽ちゃんも『神威君の炒飯、すごく美味しい!』って喜んで食べてくれるし。今度、神楽にも作ってあげよっか?毒は入れないでおくからさ」
「いらないネ!絶対に何か裏があるアル!」
私が全力で拒否していると、突然、神威の懐から可愛らしい電子音が鳴り響いた。
『ピロリロリン♪ ピロリロリン♪』
神威が懐から取り出したスマートフォンには、ウサギの可愛らしいアイコンが表示されている。
画面を見た瞬間、神威の顔がさらにデレデレに崩れた。
「あ、彗羽ちゃんからだ。もしもーし、彗羽ちゃん?うん、今地球。神楽のところでご飯食べてたところ。え?迎えに来てくれたの?本当?すぐ行くね!」
電話を切った神威は、信じられないほどのスピードで立ち上がり、自分のマントを羽織った。
「じゃあね神楽。彗羽ちゃんがターミナルで待ってるから、帰るわ。あ、残りの唐揚げは食べてもいいよ」
「変わり身早すぎアル!お前、完全に尻に敷かれてるネ!」
「尻に敷かれてるんじゃないよ。俺が喜んで敷かれに行ってるんだよ。じゃあねー!」
窓枠に足をかけ、振り返りざまに神威は笑った。
その笑顔は、かつての血に飢えた夜兎の王のそれではなかった。ただの、恋する一人の青年の顔だった。
神威が窓から飛び出していった後、私は静かになった居間で、残された唐揚げを一つ口に放り込んだ。
サクサクとした衣の音が、部屋に響く。
「……本当に、奇跡の無駄遣いアルな」
宇宙一の歌姫で、最強の賞金稼ぎで、星の運命を背負ったお姫様。
そんな途方もない奇跡みたいな存在が、よりによって私のバカ兄貴を選んだなんて。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
あの、どこにも居場所がなくて、強さだけを求めて彷徨っていた兄が、今は「帰る場所」を見つけて、あんなに幸せそうに笑っている。
彗羽お姉ちゃんも、ずっと孤独に戦ってきた過去があるって聞いたアル。
だからきっと、あの二人は、お互いの欠けた部分を埋め合わせるように惹かれ合ったんだと思うネ。
「ま、お姉ちゃんが幸せなら、それでいいアル」
私はお茶を飲み干し、窓の外の青空を見上げた。
次に会う時は、お姉ちゃんに「どうやってあのバカ兄貴を調教したのか」を、こっそり教えてもらおうと心に誓いながら。